共に見るもの

2016/07/04

先生と生徒の関係性で重要なのは、「共に見るもの」だと思う。
これは親と子供にも言えるし、大人同士でも、子供同士でも言える。
多くの親は良かれと思って子供に勉強させようとするが、果たして共に見るものがあるだろうか。
何事にも自分が主体をなしているという自己効力感は重要だ。まして、勉強という即時性の薄いものは尚更だ。長く険しい取り組みを続けていくにはやはり共に見るものが必要だ。
勉強は結局本人次第だと言ってしまうのには慎重でありたい。私たち大人が提案する様々な重要性は、うまく伝えればきっと伝わると考えている。
私も生徒を怒ることがあるが、こちらが怒っている意図が伝わらなかった時などは、もう一日中自分の中で反省会である。お互いの目指すものが一致していないと、こういうことが起こる。
申し訳ないことに私も時々こういうズレに気づかされることがある。
画期的な指導方法や教材が子供を変えるのではない。
共に見るものを持ち、お互いを理解しようという試みが子供を変える。
一方的にこれこれこういう理由でこうしなさいともっともらしいことを言われても、誰しも口を挟みたくなる。あくまで自発的に納得できなければならない。これは子供に限った話ではない。

共に見るものがあるからこそ、人々はお互いの主張を「まぁ、一理あるか」と受け入れてみる気にもなるのではないだろうか。共に見るものは具体的な目標かもしれないが、それだとちょっと共感を得にくいことが多い。この辺はもっと考えなければならない。
故に、いつも心掛けていること。
共に見るものを持つ。