ホームページが無事、リニューアルされました。
以前のブログの記事はどこかへ行ってしまったようなので、またぽつぽつと書き始めようと思う。
めげずに書き続けようと思うので、非難ご指摘どんどん下さい。
夏が終わって、徐々に受験を意識する生徒保護者も増えるころ。
3か月後に受験がありますよと言われてもなかなかぴんと来ないものだ。
この時期によく聞くセリフは「危機感が足りない!」
危機感というものが単品で売っていればよいのだけど、性格的な問題で、なかなかそれはむつかしい。
何とか危機感を持たせようとして、やれスマホを取り上げたりゲームを禁止したりするが、一向に生活習慣は変わらない。
私が学生の頃からそうであった。したがってそういうセリフを聞くと非常に胸が痛む。
しかし中には目の色を変えたように勉強を始める者がいたのもまた事実だ。
根本的な違いは何だったのだろうか。自分のために、教訓めいたものを書き残しておこうと思う。
勉強スイッチが入った人たちの共通点(山本主観)
1.人間関係が希薄であった。
2.宿題は必ず提出していた。
3.努力を怠らなかった。
4.スイッチが入るまで、成績はそこそこであった。
5.勉強してるアピールをしなかった。
6.常に学習面を不安視していた。
7.遊びの話をすると冷ややかな視線を感じた。
8.塾に行っていなかった(!?)
・・・
枚挙に暇がないなぁ。
完全に主観なものには触れないとして、まずは3番から詳しく思い出してみることにする。
・数をこなすのも大切
私が中学生の時分には、コツコツ努力するといことが理解できていなかった。
テストのとき直しをする。解説を聞いた後自力で解いてみる。わからなかったことノートを作るetc・・・
例えば、中1くらいまで私は数学の計算なんて可能な限り暗算でやればよいと思っていた。書く時間がもったいない、自分にはその能力がある。その間に次を解くんだ!と。
・・・今となっては計算能力は落ち、暗算では到底戦えなくなってしまった。かといってひっ算に地道に取り組んだ経験がないので、じっと計算にかじりつくことができない。
最初は教科書に付箋を貼りまっくたりもしたものだったが、あっという間にしなくなってしまった。理由は「いちいち付箋を貼らなくても覚えているから」
この様な感覚は、ちょっと頭のいい人なら誰でも持つのではないだろうか。まさに今こういう感覚を持っている小中学生がいたら、謹んでご注進申し上げたい。
確かにその場その場では、計算はできていたのだろう。また、語句も覚えていたのだろう。
しかし私が努力を舐めていたために失った最も大きいものは、そこ5点10点を失ったことではなく、未来にわたって良い習慣を失ったことである。
・計算によって生じるストレス耐性がないため、複雑な計算ができない。
・その場で覚えきれないことは、覚えられない。
中学くらいまでの私にとって、計算は一瞬でできるものであったし、語句というものは1度聞いたら当然覚えれるものであった。
いかに世界が狭かったのだろう。それが出来たのは問題が平易であったからにすぎず、自分の能力の向上に拠る所ではなかったことを、ついに気付く事ができなかった。
要するにめんどくさがりなのだ。手続きを省略して結果だけを扱うようになることが悪いとは思わない。しかし、こと受験勉強に関しては最悪だ。
周りで成績がいい人を見てみよう、とびぬけて計算が早かったりするだろうか?難しい問題を見せたら、彼らは口をそろえてこう言う。「ちょっと待って。」
冷静に手順を踏んで対処すること。これこそが重要なポイントのようだ。
受験勉強はそもそも、手続きをきちんと理解してこなせるかを問うている。
高い目標ばかり掲げて何の努力もしない自分に焦りを感じている子供たちは、自分の取り組みは手続きを端折りすぎていないか冷静に考えてみよう。
今日単語を1つメモらなかったこと、終業5分前に教科書を閉じてしまって先生の話を一つ聞き落したこと、ひっ算の計算ミスを見て見ぬ振りしたこと、その一つ一つが取り返しのつかない結果となる。
当たり前のことが当たり前にこなせるようになって初めて、壮大な夢が語れるのだ。
この点、スイッチオンに成功した面々は、こうした不断の努力の意義を、早い段階から理解していたように思われる。
点数よりも取り組みを誉めねばならない。高い学力とは即ち、良い習慣であると思う。
次回 2019.9.16?